背日記


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フルーツショートケーキ
06/27 (Wed) 10:04|未分類
20070627100447
おやつ。

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イル・ポスティーノ
06/25 (Mon) 20:22|映画
生協の牛肉コロッケ事件を連日ニュースで見ていたら牛肉コロッケが食べたくなって、いきなり作ることにした。
牛肉を細かく切って玉葱の微塵切り炒めと塩・卵・パン粉と混ぜ、パン粉をつけて揚げるだけ。

今日の晩ご飯は

 牛肉コロッケ
+水にさらした薄切り玉葱と水菜と青瓜のサラダ
+えのき茸と白菜のお味噌汁

です。

前の職場の課長から借りたDVDで『イル・ポスティーノ』を観た。
無学な郵便配達人が、つかのま自分の島に滞在して去った詩人に宛てて一人でテープに声を吹き込んでいるシーンがある。その背中を見てて涙がでた。
なぜかよくわからないけど。

昨晩は夜中に意味もなく電車に乗りたくなるし(乗りに行かなかったけど)、今日はなんだか体に力がはいらない。
夢ばかりたくさん見る。
場所の記憶
06/23 (Sat) 19:50|夢記録
場所の記憶、ということを考えていた。
関係があるかどうかわからないけど、大学で聴いたおぼえのあるトポスの知、という言葉を思い出す。

そういえば私の卒業した大学には、聖地のもつ力について研究している教授がいた。
その授業である映画を見た。聖地である岩山に遠足に出かけた女学校の生徒のうち数人が、皆の昼寝の時間に裸足で脱け出し、忽然と消えてしまうのだ。そして永遠にみつからない。
女子生徒が消えた理由も、どこに行ってしまったのかも何も解っていない。
いわゆる神隠しだ。
その映画は現実にあった事件をもとにしてつくられたものだったと思う。

いつもは忘れてしまっている記憶を、経験したその場所に行くと事細かな部分までさわれそうに思い出すことがある。
忘れてしまった夢も、その夢を見たベッドに戻るだけで克明に思い出せることがある。なぜなのだろう?
その場所に行くと見えるものや感触などの情報が、記憶を呼び出すフックになっているのか、それとも、その場所そのものに力があって、メモリのように記憶を蓄積し、積み重ねているのか。
(その場所への入り口は眠りの中にある?)

なんでこんなことを考えたんだろう?

そう、今日は小さい子の夢を見たのだった。
その子は私の前に立っていた。口をつぐんで、しかも何か言いたげに私の前から動かない。何か重大な悩みを抱えているみたいだけど、他の人に言われたら嫌なのか、すぐに話そうとはしない。
私はかがんで、話してごらんと言う。「大丈夫、絶対に他の人には言わない」と約束する。そう話している間に一度目が醒めた。

この夢の印象があまりにも強くて、ほかの夢もたくさん見たはずなのにぜんぜん覚えていない。忘れてしまったほかの夢を思い出せないか、と考えて、それで場所が引き出す記憶について思考が及んだ。

子どもが夢の中で話そうとしたことに、私はまだ行き着けてない。
おそらくその子が今後何か話したとしても、ここには書けないだろう。
私は約束した。

とりとめない思考がかってに動いている感じ。連想はたくさん浮かぶが、それでいてまとまらない。
悪い感じではない。
状態が悪いときも頭が勝手に高速で走り出して色々のことがわかりすぎてくる感じになるが、その時の感じとは少し違う。
悪い時は、一部の機能だけが尖鋭化する。そして、自分ではわかっていると思っていて、実際にある側面では鋭いくらい事態を分析できているとしても、絶対に「本当には」わかっていない。近視眼的になっている。だから現実的な判断を誤る。

全体としての思考のまとまりを欠き、うまくコントロールできないのは今も同じだが、今はぼんやりとして勝手に動く自分の全体を眺めている感じだ。
ちょっと鈍い、悪いときより。そして視線がひけている。
だからといっていい状態ともいいがたいけど。

今は自分をながめている状態。
06/22 (Fri) 09:06|夢記録
先日ふたりの子どもの夢を見てから、ずっと考え込んでいた。
その前から断片的にガラスが割れる夢など、影の侵入を表す夢を見ていたのも、考え込むきっかけになった。
夢に出てくる登場人物は基本的に全員が自分の分身だと考えている。受け容れがたい嫌なやつも、子どもも、老人も、男も、女も。

自分が生きていない影の側面が、人の姿をとって立ち現れてくる。それを受け容れて影を内包した存在として生きるか、拒否して今の自分を保ち、変化しないのかは、自分自身が選択する問題だ。その影が自分にいい変化をもたらすとは限らないし、変化することは時として死ぬより怖いことだから。
変化するとは、今までの自分が死ぬということなのだ。

私は子どもの霊を拒否したけれど、それは本当に受け入れちゃいけないものなのか? 
子どもがここまで食いさがって訴えかけてくる、ということに、目覚めてからすごくひっかかり続けた。
子どもの霊が自分を死に追い込むとしても、夢の表す死は変化することと同義だ。
対話する姿勢を自分の中にもち続けたほうがいい、と昨日考えた。

今日の夢:

白いコック服を着た上司が、寡黙な働き者の黒人を見込んで、摩天楼の城のてっぺんのレストランで働かないかともちかける。黒人は窓の外を見て、聳え立つ城を仰ぎ見る。
     +
海で泳いでいたら、物凄い数の鯨が間近を泳ぎ廻っており、波のあおりをまともにくらう。壮観。自分がいまだに溺れていないのが不思議なくらいだ、と思い、危険を感じて岸に泳ぎ着く。

とてもはっきりとわかりやすく展開している。
この後の展開を見る。
ふたりの子ども
06/18 (Mon) 09:29|夢記録
今朝見た夢。
どこかに旅行に来ていて、今から泊まっていた宿を出て帰るところ。
荷物をもって妹とドアの外に出る。
車を待って青葉の茂る庭を眺めていると、宿のドアの陰からりんごのような頬をしたおさげの女の子の姿がのぞく。その後ろにもっと小さな男の子。二人とも見かけない顔。
こっちに来て一緒に遊ぼう、としきりに誘われる。子ども好きの妹は遊びたそうにしていたが、私は妹を制し、頑として断る。
もう出発するからごめんね、と謝ると、男の子は諦めたが、女の子は泣きそうな顔で食い下がり、一緒に来てよ、寂しいよう、と言う。
それでもごめんね、と言っていると、宿の女主人がやってきて「車はもうじきですから」と言った。その途端二人の子どもの姿は消えた。
その子ども達は死霊で、ひと恋しさに私達を誘った。ついていけば殺されるだろうとわかっていた。

目が醒めてから考え込んでいる。

空飛ぶ馬
06/15 (Fri) 19:17|
昨日、ネットが開通しました。おもに昨日の記録。
   ・ ・ ・

午前、焼いたバナナマフィンや冷やした麦茶を食したり飲んだりしながらネット工事を待ち、北村薫『空飛ぶ馬』をほのぼのと読む。

『空飛ぶ馬』
登場するのは、文学部の大学教授、そのかつての教え子の落語家、落語好きのちょっと内気な女子大生。
彼らは喫茶店で、大学の教授室で、珈琲や紅茶を飲みながら会話を交わしている。面白い知的ゲームでも解くように、日常に潜む「?」に取り組んで…。
ほどけて行く謎の終わりには、ため息と微笑が滲む。推理ものなんだけれど、なぜか和んだ。
主人公が本物の内気な女の子で可愛い。横からずっと成長を見てたいような、変わって欲しくないような微妙なスタンスで読み進める。
私の目には主人公のイメージが、この本を貸してくれたこのはちゃんに重なるのだ。

正午すぎ、ネット工事が終わってから、オークションで木製の本棚をいくつかチェック。照明も一つ探しているが予算に見合うものなし。

午後、雨の中食糧の買出し。うどん四把、昆布、トマトホール缶、豆缶、ほうれん草、茄子、セロリ、味噌、麦茶、胡瓜、食パンなどを買う。

ひどくお腹をすかせて帰り、冷麺をつくる。
買い出しの途中で借りてきた『荒野の用心棒』DVDを観て、就寝。

   ・ ・ ・

最近、目に見えて低調なので「すみませんが低調です。誰にでもくる低調さんが私にもやってきてます」と旦那ちゃんに伝えると、「誰にでもくるのになぜ俺にはこないのか!?」と違うポイントに衝撃を受けていたので、「男の子だからじゃないでしょうか」と伝えてふて寝しました。
しかしふて寝でもきちんと寝るとやっぱりきちんと回復してきたので、睡眠は大切だなあと思いました。このごろは就寝中に何度も目が醒めてしまうことが続いていたのであります。
回復してきたせいか幸運度が上がり、昨日は雨の中カリカリをたべている茶虎猫二匹に遭遇できました(一匹はダッシュで逃げていきました)。
うれしい。
最近、ベランダに猫が来ないかと夢見ていますが、来るのは蚊ばかりです。
三階じゃ、駄目か……
記憶
06/10 (Sun) 18:30|夢記録
なんだか最近昔の記憶の断片がことあるごとに甦ってくる。
別に意味を持たない映像ばかり。

干したまま雨に濡れた洗濯物。赤いシャツ。
薄暗い部屋。床の上に散らばった紙。
テーブルに並べた檸檬酒。スーパーの狭いエスカレーター。背中。黄色い駅の階段。
ベランダから見上げた星空。
枯れて行く植物。
酷薄なほど澄んでいたガラスの瞳。

よく解らない。

昨日は、自分の隣で氷のようなガラスがいきなり割れて降りかかってくる夢を見た。妹を抱きかかえて地面にうずくまる。死ぬかな、と思った。




人間消失
06/02 (Sat) 19:28|映画
引越し完了して片付けも本以外は済んだ。
ネットがあと二週間は開通しないので、ネットカフェから更新している。

昨日みた映画。
『人間消失』ヴィクター・サリン監督。
タイトルにひかれて見たが、びみょうな映画やった。ひとことでいうとキリスト教原理主義の映画。
人間が消えるねんけどなぜ消えたのか最後まで説明がない。
神のみもとに召されたという仮説はあるのだけど。続編が出ててそこで何かしらの説明があるのかな。ないかもしれない。
信仰にかえりましょうという映画だった。

実をいうとうちの母もキリスト教原理主義で、うちは幼年時代からそれを教わったけれどもどうしてもどーーーーしても納得がいかなくて離れた。
ほんの子供のころから叩き込まれているだけに神を信じられない自分が悪いのか、とものすごく思いつめ、一時期徹底的にこれについて調べた。
それだけにほんまに微妙な気持ちで見た。
ふつうにツッコみながら見れば楽しめる・・・のだろうか・・・いややっぱり微妙・・・笑えなかったな~。

『夜は短し歩けよ乙女』(森見登美彦)を読んでいるところ。
乙女心をくすぐる素材がふんだんにつかわれている。
学生ってこうやんな~。となつかしくなりながら読んでます。






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