背日記


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PLACES AND OLD FRIENDS
10/31 (Wed) 23:30|思考
ひとつのある問いかけに対する答えをずっと探している。
探す途中、ある道を行こうとして立ち止まり、引き返して別の道を行く。
そしてそもそも探していたものが何だったのかがはっきり解らなくなり、
最初の問いを思い出す。
その繰り返し。

自由について。
たいがい人は自由から逃走したいものだ、という一般論は言えるかもしれない。論じるならいろいろな人の著作からひっぱってくればいろいろのことは言える。
でも私自身が自由から逃走したいのか、それとも自由になりたいのか、そもそも自分にとって自由ってなんなのか、という問いについては簡単に答えることができない。あるいは自由になりたくないのかもしれない。
本当に自由になりたいと思うなら気が狂うくらいの危険は冒さないといけないだろう という気がする。
巷にヒントになりそうな言葉はたくさんあるけど、それを信仰してはいない。
いまだによくわからない。

マーク・ヘンリーのPLACES AND OLD FRIENDSという曲を繰り返し聴いている。
寒いので今日は鶏鍋にしました。
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10/31 (Wed) 07:27|日常
寒い。いつのまにか、今日は10月最後の日。
今年の冬のコートをどうしよう。

背中がぎしぎしきしんで、あまりよく眠れなかった。
明確な内容の夢をたくさん見て、なんかはっきりしすぎて忘れそうもない。
朝四時半に起きたので二度寝しようと試みたけれど無駄に終わり、寝つけなくてなぜか焦燥感に駆られる。
寝る必要はないのに眠れないと焦燥感が起るのはどういう仕組みだろう。
それともこれは「別の」焦燥感だろうか?
何に対する?
よく解らない。

一歩一歩
10/30 (Tue) 18:20|夢記録
「自己って端的になんですか?」と問われたユングが、会場の聴衆に向って「みなさんが私の自己です」と答えた、という話があります。

このあいだは昼出勤だったので朝そのことについて考えていて、ああなんかその意味が頭ではわかった、と思って仕事に出かけたら、自転車で走っている間や出勤してから会ういろいろな人々、かれらから受ける印象その他全てが自分の反映に見えて、頭が全部処理しきれず、仕事で何をしていいかわからなくなり、一人あたふたしてしまった。そしてちょっと感覚を止めて、ふつうに仕事のリズムを取り戻しました。
うーん、なんか、ちょっと違う……。と、仕事中銀行に向って歩きながら考えた。
常にこれやと日常生活送れない。
自己みたいなめくるめく広大な世界の全部の情報を一気に見ようとすると私のちっちゃな自我には無理があるから、パンクするから、重点を自己を全て見ようとすることに置くんじゃなくて、もっとなんか違うふうに。なんだろう?どうすればいいんだろう?えっと。
まだよくわからない。なんとなく自分の持ってる荷物を「持っていながらおろす」っていうようなことじゃないかとは思うんだけど。ほかにもなんかある気する……
「頭パンクするから見ない」のではなくて、でも生活はきちんと保って。その方法は絶対どこかにあるんだけど。

そう考えていたら雨が降り出しました。

今日はハードルの飛び方を勉強する夢を見てました。これがほんとの睡眠学習だ。
私が全然飛べないでいると、若い女性の選手がステップを実際に踏んでみて教えてくれ、一歩一歩、毎日練習するんです、そう言って軽々とハードルを飛び越えて走った。

雨、止んだかな。
止んだら、りんごを買いに行きます。
更新
10/29 (Mon) 11:09|日常
出勤前に、ひさかたぶりにHPを更新しました。

でもざっと五年くらいまえの雑文をひっぱりだしてきただけというなさけなさです。
ちょこちょこと加筆修正はしています。
でも基本的にそのまんまです。
あと、いつ書いたかが限りなくあやふやで順不同です。
その頃日付をつけて書いてなかったためです。

大学生のとき書いたものです。ブログがはやる前。
そう考えるとすごく昔です。
そのころは五年後こうなってるとは思いもしなかったなあ。
当時の自分に言っても信じないだろう……。

19、20くらいの頃、一つ山を越えたと思っていて
28くらいにもう一回くらいすごい山が待ってる気がする、
いやだなあと思ってたけど、昔の自分には
思ってたよりずっと28歳は気楽だよと言いたい。
若いときのほうがままならなくて大変だった気する。
そんな感慨はともかく、ご報告でした。
Riversong
10/29 (Mon) 08:01|日常
マーク・ヘンリー

今日は珍しく昼から出勤です。

今日のお昼献立:
じゃがいもと手羽の味噌煮込み(今煮ている)
白菜とたまごとセロリのスープ(まだ作ってない)
煮込み料理には葱、生姜、大蒜、味噌とかオイスターソースとかいろいろ入れる。

写真はマーク・ヘンリーの「Riversong」。昨日試聴コーナーで聴いていてなんだか好きになってしまって買いました。
他にもいろいろ試聴してて、凄いなと思うのとか綺麗なのとか色々あったんだけれど、なんだかこれを買ってしまいました。
シンプルなギターとスモーキーな声でなんだか落ちつく。

昼まで半端に時間があるので、お茶でもいれましょう。
パノラマ
10/28 (Sun) 19:34|夢記録
パノラマみたいな夢を見た。
あちこちの世界を渡り歩いて、もとの世界に戻ってくる、という夢。
生活ってこういうことの繰り返しなのかもしれない。

仕事あるけどすでに寝坊で遅刻していて、あかん!連絡しないと、
と思っているうちに時間が経ち、
寝床から色んな世界の扉を開ける。

私は朝靄のただよう夜明け前の街を走る。人の姿はない。
探している家が見つからず、もとに戻る。
そしてまた別の扉を開ける。

そこには全ての人が死に絶えた永遠の静寂の世界がある。
人間の姿はすでになく、骨すらも残っていない。
人々の生活していたテントの跡や衣服だけが抜け殻のように遺り
白と桃色と水灰色の結晶を沈めて凍りついたように動きを止めた川と
きんと耳鳴りがするほどの静かな厳しい空がひろがっている。
私はその中を駈けて行き、嘆息してなんて美しいんだろうと心から呟く。
そしてまた別の扉を開ける。

するときらめき流れる美しく若い川が現われ
その岸にはレースのような不思議な白い花の咲くクローバーが密生している。
私はその花を手にとって眺め、向うを見やる。
音楽のようにその川は絶え間なく流れ続ける。
私はまた別の扉を開ける。

洋館が現われる。
いくつもの木製の扉を開けて奥へ奥へと進むと
暗いへやには白い大きなつめたいベッドがある。
私はそのシーツに頬を寄せてみる。そこでねむりたいという誘惑、
しかし私を追う人の呼び声を聴いてその部屋を出てゆく。

するともとの寝床のある部屋に戻り、店長からの電話がかかってきて
「仕事に遅れているから心配して君の家に警察を寄越した」と言う。
私はああ、すみません、といつもの仕事に戻っていく。

昨日は一日無気力に過ごして、こんな夢を見ていた。

白い花
10/26 (Fri) 07:12|植物
しろい花

なんの花かよくわかんないんだけど
スーパーで買ってきた植物の花が咲きました。
かわいいな。
大仏を見に行った。
10/24 (Wed) 18:48|お出かけ
寝そべる鹿

昨日、大仏を見に行った。奈良の東大寺まで。
ガードレール脇とか排水溝の中とかホテルの噴水の中なんかに鹿がのっそりいっぱいいた。悠然と昼寝し闊歩している。鹿に動揺して道をよけるのは人間たちの方。
野生動物のはずの鹿が人間とふつうに道を歩いている…何か、よく考えたら特殊な世界、奈良。
きゃーきゃー言っている修学旅行の小学生たちを見ていて、鹿から見て人間ってどう見えるんだろうなあ、と思った。
わりとあほに見えるんとちゃうかなあ。

ところで やはり大仏はでかい。人間とは思われない。なぜこんなでかくしなければならなかったのか。
巨大なものは異様であり威容であり神性を秘めているように見える。夢で見る巨大な花や巨大な動物たちには、特別な神秘性やヌミノースを感じる。大仏を作れと言った聖武天皇も、自分のヌミノースを表現したかったのだろうか。とか今ごろ考える。でもよくわからん。
ほかには、四天王がかっこよかった。という、子どものような感想しか出ない。
中学の時遠足かなにかで来たことあるけど、その時はもう大仏はレジャーでした。大仏レジャー。今回もそうやけど。
頭がパンチパーマや とかそんなことしか考えてなかった。遠足やから大仏より大事なことがいっぱいあったんである。
今回は学校の遠足の時とはちょっと見方も印象も違った気がする。
しみじみじっくりと見て廻りました。
daibutu.jpg


帰りにたまたまやっていたシャガール展を見たかったけど時間が押していたので見られなかった。シャガール京都にも来てほしいなあ。

近鉄奈良駅を降りて直ぐの商店街、甘味 そば処「みかさ」で岡本太郎の作品「大仏の手」を発見。
ふつうに商店街の道ばたに置いてあった……うれしくなって写真をとる。
「腰をかけないでください」という札がかかっているけど、かけてと言われても腰かけないよ!と思いっきり思う。
異様な気を発していてとても座れそうに無いよ!
でもこの椅子(?)は、ちっちゃくてあほな男子小学生なんかに座ってほしそうな顔をしていた気がする。
ぴかぴかに光っていた。
岡本太郎


葛餅を買って帰った。黒蜜ときなこをかけて食べるもの。
歩きつかれて、電車の中でねむってしまった。
終末の夢
10/21 (Sun) 19:36|夢記録
世界が終わる夢を見て目が醒めた。
これだけ見てるとさすがに気になってくる。
何が終わっているのだ?私の中で。
私が送っているのは平穏な毎日、のはずだ。

終末の夢。
外は灰色の嵐。ひどい風が吹いている。学校に来ている人もまばら。授業は行われず、皆言葉すくなに窓の外を見ている。
男子生徒が、「地球外の巨大な物体から致命的な光線が降り注ぐらしい」と言い、ニュースの流れるPC画面を眺めている。
早く帰りなさいと先生が言う。授業どころではないのだ。
夢の視点になる女の子は「私はどこにでもいる平凡な女子生徒」と言う。彼女は楽天的で、今何が起こっているのかという状況を把握していない。いつも通り通学し、いつも通り帰宅するつもりだ。私はその女の子を見ていてちょっとこわい思いをした。この嵐の中何も認識しないでいられるなんておかしい。
電車に乗るが、すごい突風が吹いて電車が揺れる。
その後、自分の着ていたニットのカーディガンが破けて落ちているのに気付く。買ったばかりなのに、と思う。
その後皆のための飲物を買って自宅に帰るが、誰も居ない。全ての雨戸とシャッターが閉まっている。真っ暗な部屋の中を、みんなの名前を呼んで歩く。猫の名を呼ぶ。しかし誰も居ない。避難してしまったの?

外に出る。閑散としている。何かが光る。走れ!!と後ろから声、皆ある建物の屋上に駆け寄る。そこにはシールドがある。間一髪、設置レバーを降ろしてシールドを張る。
何かが降り注いでいるのがわかる。外に出てはいけない。皆息を殺してコンクリートに身を伏せ、上を見上げている。知らない人ばかりだ。殺伐とした雰囲気。今やり過ごせても、これからどうする。食糧も水もない。突然のことだったから、荷物なども持っていない。

何が起こっているのだろう。
8年ほど前にも、世界の終末夢を見続けていた。
その時は、わかりやすい危機的状況があったので、そんな夢を見る理由を考える必要もないくらいだった。
「一寸先は闇」とはよく言ったもので、本当に目前に闇が見えるってどういうことなのか、そのときに解った。
しかし今は。苦労はあるけど、あの当時のことを考えるとしあわせすぎるくらいの状況だ。なぜこんな夢を見るのかわからない。
以前ほどリアルで凄惨な夢は見てないところを見ると、状況はましなんだろけど。
わかんないなあ……。
とりあえず私が状況を認識していないのと同時に何となくは認識しているらしいというのはなんかわかった。

昨日はガラスの城に住んでいて、そこから天に昇って行くという夢を見ていた。日々泥臭い生活をしている割には、ずいぶんと浮世離れた夢。
日常
10/17 (Wed) 21:07|日常
今日は今年初めて蜜柑をたべた。まだ青い蜜柑が嬉しかった。
帰宅して冷蔵庫を見たら板チョコレートが四枚あった。
チョコ中毒の私がいつも備蓄しているのを見て旦那ちゃんがいれておいたらしい。ぱりぱりと私が食べた。

レタスと水菜の辛子柚子ドレッシングサラダ
鶏と玉葱のオイスター煮
えのき茸と白菜と葱のお味噌汁

を作る。

仕事場の植物にほとんど誰も水をやらなくて、メンテに来てくれる花屋さんが毎回せつない顔をして帰っていかはる、という話を以前ミーティングの時に聞いて、植物に名前をつけたらみんな存在を認識して水をやるかも!という提案をしたら、店長が笑って採用してくれた。
しかしその結果今度は水のやりすぎになってしまった子が発生し、メンテナンスのため旅立っていった。ちょっと悲しかった。
健さん……。(という名前だった。)
ただ、元気になった子もいて、大きくなった葉っぱなんか見ているとうれしい。

世界の終末シリーズ続く
10/16 (Tue) 21:09|夢記録
また、世界の終わりの夢。

世界の終わりに、荒れ果てた世界で、家をなくした人々が訴えるように私を見ている。私は異空間から水の缶を三十個ばかり取り出して、開けては配っていた。
家をなくした人々は途方にくれている。活気があるのはもとから家を持っていなかった人たちだった。
猥雑な街の中で、彼らは大声を上げて笑い、汚れたエプロンで手を拭いながら商売し、どしどしと長靴を鳴らして歩き、食糧を得る。彼らに希望があるとか、絶望していないとか、そういうことではない。彼らにも未来は無いのだ。ただ、彼らはこれまでも常にそういう状況で生きてきた、というだけの話だった。

一様に色をなくしたように落ち込んでいる家をなくした人々の間で、彼らは生き生きと異様に色づいて見えるが、彼らとて、ねぐらではひっそりと平和な生活を営みたいと願う、一人ずつの人間にすぎない。

夢の中に、大学時代の知人で、ジプシーの少女みたいに奔放だったある女の子の姿があった。彼女も家なしの人々に近い。
立ち働く彼女を待ち、貧しい恋人は彼女からクリスマスにプレゼントされた靴を履く。食事を用意し、彼女はまだ帰ってはこないか、と扉の外を覗く。外は灰色の嵐、恋人は扉を閉じる。
かなしいくらい無邪気で儚い光景。
胸がいたくなるような。

写真展とか
10/15 (Mon) 21:47|お出かけ
今日は女の子たちと鴨川沿いのカフェでイカのフリットを挟んだサンドイッチをたべてご機嫌になり、その後大丸でやっていた写真展にいってきました。
棚田の写真を見ては宇宙人がつくったみたいとかシフォンケーキみたいでおいしそうとかあけびは食べるところが少ないとかそんなことばかり言っていた気がする。おなかがへっていたのか?私。
一緒にいた人たちがなんだか非常に居やすい雰囲気の人たちだったので、ほわーっとなごんで帰ってきた。

ところで、ここのブログを見たかなぽんから『気性が激しいなんてわかりきったことを書きよって…んなこととっくに知っとるわい』というような内容のつっこみメールがきた。
かなぽんはいろいろ知り尽くしてるのである。
そうでないひともうちの日記を読み続けたらたいがいのことはわかるはずである。
しかし私じしんはあんまり自覚してへんかったのですよーーーーー。
ですよ。

帰って鶏のうどんを作った。
うどんは楽だ。
初鍋
10/13 (Sat) 20:40|今日のごはん
パソコンがへんな動きをして、さっき書いた日記が消えた;

今日は鴨川に散歩に行ったら思いのほか寒く、体が冷えたので、戸棚から土鍋をおろしてきて冬の初鍋にした。
羊鍋。

今日はいくら眠っても寝たりない。休日なのにもったいないと思って起きたけど、そのまま眠ろうと思えばいくらでも眠っていられた感じ。

香菜の芽が二つ出てきた。

髪が伸びたなあ……。
世界が終わるとき
10/11 (Thu) 19:33|夢記録
今日は仕事してただけで何もしてない。なのにだるい。
宇宙に一人乗りロケットで旅立とうとする夢を見た。

そして昨日は、また世界の終わる夢。子ども二人で保護者もなく街を彷徨っていたら、ある教授に拾われて、実験に協力してほしいと言われる。住所ができたと少し安心して、廃墟の実験室に棲みつくが、じきにその教授がどこか狂っていることに気づく。逃げ出そうと財布や手帳を小さくまとめて天井裏に隠していた。
しかしその教授がある日、天井裏から階段を降りてきた。かれは遠くを見るようなくぐもった眼差しで私を見つめ、ほとんど悲しそうな顔をつくり、軽く首をふった。その二本の指で財布をつまみあげて、
「これは何かな?」
(おやおや、私から逃げられるとでも思ったのかい。そこまで馬鹿だとはおもわなかったよ)
私はぼうっとしてどうすることもできなかった。

かれは実験すると言って私を連れて雲の上へ上っていった。その雲の上にふせて下界を見ていると、ある街から火の手があがった。教授はそれを指さした。
「火だ」
その火は下界一面に拡がり、全てを燃やし尽くそうとしていた。しかし私と教授の居るところにはやわらかな草があり、小さな野ばらが鬱蒼と茂ってたくさんの可憐な花をつけていた。
教授はばらの花々をちぎって私達の上からばら撒いた。かれは言った。
「世界は終わる」
そして私達は生き残るのか?
間違っている、それは絶対にまちがっている。
しかしどうしたらいいのか私にはわからない。
甘い嫌悪の中、身動きもできず私は燃え広がる火を見つめた。

本当にどうしようもなかったのか? 夢から醒めてもそう考え続けている。
きんもくせいが咲いてる
10/11 (Thu) 19:21|映画
龍安寺のつくばい


昨日まで連休だったので、龍安寺に石庭を見に行った。難しくてわからないので解釈しようともせずに石を数えたりしてみる。
15個ある岩だけど、座って見るとどの角度から見ても15個数えられないらしいのである。色々角度を変えて数えなおしてみる。立って見れば15個あるのがわかるねんけど、座ってるとわからない。
人生の局面もそういうものかも。視点を変えないとわからなかったり。
三次元で見てるとわかるけど二次元で見てたらさっぱりわからないことってあるな、と思った。とことん葛藤やら絶望やらのどんぞこに追いつめられるか、なんかするとたまに自分が設定づけされてしがみついている二次元の世界をふっと抜けられる瞬間があって、そうするとたまに何かがかいま見えたりする。

つくばいがおもろかった。
画像を見るとわかるけれど、銭形の中心の「口」を使って読むと、禅の格言「吾唯足知(われただたるをしる)」と読める。ユーモラス。
きんもくせいが咲いていて、その香気がただよっている。あまくひんやりした空気がおいしかった。

あとは、休日なので朝のいつものバタトーストをとりやめて、黒米をあまく煮てお粥をつくり、中国の緑茶とザー菜の刻んだのとで朝粥にしてみたりと、休日ぽいことをしてゆっくり過ごしたり。そして劇団☆新感線の『朧の森に棲む鬼』が映画館で公開されたので観に行った。お芝居なんだけど映画のように撮ってある。
シェイクスピア+歌舞伎という感じ。爽快。帰り道、劇のことを考えつつ自転車で走ってるとあちこちにぶつかった。
観終ったら夜10時になっていたので、もうごはんは作らずぱんにバターとはちみつをつけて食べておしまいにした。

蝶々のしおり
10/08 (Mon) 21:56|お出かけ
cross.jpg



仕事帰り、京都文化博物館でやっていたフリマにふらっと寄って手づくりのクロスを細い紐で繋いだネックレスを買う。
クロスモチーフのネックレスを三つはもっているが、その中でも何だか一番シンプルで素朴で、すきなかんじ。クロスは手で溶接しているから一個一個かたちが違う、と作者さんらしき売り子さんが言っていた。小さくてつけても目だたないけど、かわいいな。安かった。
恵文社書店にまた行って来た。今月どれだけ行く気なんだというくらい行っている気がするけど、その度に棚とか雑貨の品が違う……。棚がすごく手入れされてる。
そこでやっぱり蝶々のしおりを買ってしまった。だって無くなったらすごく後悔するもん。蝶々、本にとまらせたい。ここで買いたかったもの、次買おうと思ってたら次行った時にはもう無い、ということが度重なって思い切った。
なんかこの本屋さんを知って安心した。欲しい本がでてきた時、ここに行けばもしかしてあるかもしれないという気がする。

帰り道、川沿いを走っていて、鴨川に向って大荷物をかけっぱなしのバイクを停めたまま道に横になって眠り込んでいる若者を見た。
人にはいろいろの人に予想もできない事情があるものだ とか考えて全速力ではしって帰る。

イタリアンパセリのオムレツとごぼうと牛を煮たものを作ってごはんにしました。
10/07 (Sun) 21:44|未分類
危機だと感じると体は動きを止めてしまう。安心するとまた動き出すんだな、というようなことを今日は体の変調から思った。

体は今日になってやっと安心したぽい動きをしている。
うちは自分の体ってわりと自分とは別のいきもののような気がしている。自分の頭が「そうしたほうがいいだろう」って言ってることを体が嫌がることがたまにあるし、自分の思考と別の動きをするからだ。
体ちゃん、色々と無茶をさせて申し訳ない。といって別にいたわるわけでもない……。長年連れ添った妻みたいに苦労をさせて、たまに振り返ってすまん、と言うだけ。

世界の終末夢と黄金
10/06 (Sat) 20:30|夢記録
なんかここ数日の夢とか現実の流れを見ていて、自分の気性は実は相当はげしいのかもしれないなあ、ということを考えた。かなり穏かでおとなしいはずなんやけど。
これまでも数人には「君、実は気性激しいやろ?」と言われたけれども、そうかな?というくらいのレベルで思っていた。
そういえば十九くらいの頃、ただ冷静にお話しただけのソーシャルワーカーの方に、貴方とは喧嘩したくないな。といわれたことがある。凄じい話を冷静に話しすぎたかもしれない。でも、別に喧嘩の話をしたりしたわけではないです。単純な事実のみをお話した。だからよくわからない。
ある種の男の人は感情的でない女が怖いのかもしんないです。

話がそれたけど、なんか自分について改めてそんなようなことを思ったという話。

今日は世界の終末の夢を見た。何ヶ月かあいてまた来た感じ。
ここ数日、毎日夢が意味ありげなことを問いかけてくるので、分析家の先生にお話したい夢が溜まっているのだけど電話のタイミングが悪く、予約がとれてないー。

今日の夢ではもう既に地球上の大勢の人が死んでいて、混沌とした世界になっているという設定だった。
そんな中、突然、海の上を歩けるようになる。夜になると海の水が板のように透明なまま硬くなり、水上を歩けるようになるのだ。
私は水の板の上で飛び跳ねて歓ぶ。
夜の間に車で海を渡ろうとする人がたくさん出現するが、日が出ると同時に財産、車と共に水没してしまう。私は、ここから逃げてどこへ行くというのだ、何を求めてどこへ行くのか?と傍観していた。どこへ行ったって世界は終わる、そのことに変わりはないじゃないか。

そんな中、ある白髭の小さな老人が現われて私に黄金を探すことについて教えてくれた。
かれが言うには、黄金を探すには果てしない努力が必要で、それなのに金は見つかってもちっぽけ、せいぜい一月生活できるくらいだ。しかしそれを得るためには人生の全てを賭けた努力が必要になる。
それで黄金探しをやめて、本やなんかを売るようになった人々も多い。ある意味賢いと言えるだろう、だって考えてもご覧、払わなければならないのは、そんなちっぽけな金に見合う努力どころではないんだと老人は言った。だって黄金を探して土を掘り返している間、他の事は何もできないのだ。見つけるまでが華なのだ、すばらしい夢を見ていられるから。

かれは続けた。稀に、一生かけてもつかい切れない莫大な黄金を見つけることがある。しかし、見つけた衝撃のあまり死ぬこともあるんだ。実際にそういう少数民族がいたんだ、かれらは生涯を賭けてきたものが見つかった衝撃のあまり死んでしまった、と。

そして私の目の前に突然、燦然とまばゆく輝く黄金の山が現われた。
私の連れの女の子の前で、私は死んで、煙となって天へ立ち昇っていった。私はずいぶんはしゃいで、よろこんでいた。
「わあ、私は死ぬんだ!だから黄金のことはもういいんだ!」そして私は昇って行きながら、驚いている女の子にものすごくハイな状態のままばいばいと手を振っていた。

以上が夢。
錬金術の話として考えると老人の言っていることはわかる気する。
老人はある意味もう黄金を探すなと言っているみたいだなあ。でもどうすべきなのか。探すべきではないの?
わからない……。うち死んでるし……。しかも黄金はもういいんだと言いながら。どういうことやねん。夢では死んで問題解決するけど、うち今朝もまだ生きてたから、問題丸残しで困るやんか。自分に説教したい。
そこは自分で考えるとこなのだろうか。
夢では金が見つかって死んでるけど、見つかった実感とかはあんまりない。
とにかくわからない。
夢が何かいいたくて言ってきている感じがする。

日記長いからもうやめよう。
ごはんをつくらなくてはいけない。
お買い物
10/05 (Fri) 22:40|お出かけ
ソースの二度づけ禁止

公園の樹


今日はお買い物の日。

今日買ったものリスト:
金釉のごはん茶碗二ツ、アンティークレザーのスケジュール帳、蝶々の刻印のある象牙色の小さな石鹸、かわいいマッチ、大きい安全ピン四ツ、素焼きの植木鉢三ツ、チョコレイト色のペンキと刷毛、豆乳ドーナツ。

お茶碗は大丸で、スケジュール帳・石鹸・マッチはけいぶん社書店で、安全ピンはボタン屋さんで、植木鉢やらペンキやらはニックで、豆乳ドーナツは錦小路で購入。
&病院で健康診断を済ませてきた。低血圧だけど文句なしに健康体である、とお医者さんが太鼓判を押してくれた。しかし、やっぱり低血圧なのか。

自転車で走り回って走りつかれて公園でぶらんこに乗り、途中で串かつ屋のへんな看板に遭遇して激写する。
『ソースの二度づけ禁止』
この注意書き、店内で表示するのは意味わかるんやけど、店外にこんなでっかく看板にしておく必要はどこにあるのや・・・。しかもこの看板二ツあるのだ。もはやメインの店名看板より全然目立っていた。

郵便局に寄って帰宅後、大根と人参とミョウガの千切りとすだちの薄切りをあっさり和風ドレッシングで和えたサラダと、ツナマヨサラダパスタという簡単な晩ごはんをつくる。

このところ休日は忙しくしてるので、今度の休日はゆっくりしよう。
はまちの夢
10/03 (Wed) 20:11|夢記録
はまちをうちに連れて帰る夢を見た、でも起きたらいなかった。

真っ暗な廃墟のへやに調査に入って行く夢を見た。
懐中電灯らしきおぼろな光しかなく、ほとんど何も見えない。
ここに長く居ない方がいいと強く感じる。
おぼろな光が当てられた壁には凄まじい血痕が遺されていた。
ここで男性が一人自殺した。
打ちっぱなしのコンクリートの壁。その別の箇所に、光が当たる。
赤い新聞記事が二枚、目立つように貼られていた。記事の写真には頭を剃り赤い着物を着た、強い眼の若い男性が大きく写り込んでいる。
赤い写真記事を貼ったコンクリートの壁。それはまるでかれを祀るはだかの祭壇みたいに見えた。
その記事の男性は強力なカリスマ的人物で、政治的な意図をもって自決した。このへやに住んでいた人物もかれに共振して自殺していることを私は感じる。それでここには、自殺者の部屋特有の絶望と寂寞の匂いが無い。

この部屋はものを言っている。その異様な眼を見ひらき、大声で語りかけてくる。ここにまだその人はいて、去っていない。
かれははだかで、わたしたちに背を向けて座っている、カーテンのない窓のほうを向いて。
かれは何も言わないが大声で叫んでいる。
見えないけど見えた。
ここには長く居ないほうがいい。

調査に入った男性と共に、トンネルを歩いてゆく。
ただ歩いていく。

そしてはまちをうちに連れて帰ったのだ。たしかにおなかと背中にさわったし、そこにいた。

そんな夢。

やさしい歌
10/02 (Tue) 21:03|思考
洗濯をして、かわいた着物をたたんで、少しないて、ベランダでのびていく植物の緑を見て、かわいいやさしい歌を聴いた。
さっき、いやなこと、怒っていたこと、かなしかったこと、書いて気持ちが落ちついた。
かわいい歌を聴いて、気持ちがあたたまった。
私のたいせつなものを守ろう。
どんなに悲しいめんどうでいやなことが起こっても、大切なものはまだここにある。
それを守ることは私にもできる。
だいなしになんかされてやるもんか。
まもるんだ。

独り言
10/02 (Tue) 19:26|思考
とりあえずネットどころではない状況だったのでこのところ更新してなかった。妊娠もしてないのに吐き気がひどいところを見ると、ここ数日で急激に胃が悪くなっている。

ただ普通の生活を送りたいだけなのだが、それは難しいこと。私には難しい。頑張ってもどうにもならないことはたくさんあり、障害を乗り越えようとすると、さらにそれを乗り越えるための障害にぶつかる。
また乗り越えようとするが、やはり自分の力ではどうにもならない。本当にあたたかな人と、風見鶏のように気の変わりやすいいやいやな人とが協力してくれて、事態はなんとか落ち着きそうな気配を見せている。それも誰かの気紛れと判断で、どうにかなってしまうかもわからない。
とりあえず今は厳しくても一貫したことを言う人と話していたい。昨日と今日とで、都合で言っていることを変える人と話していると、冗談じゃなく頭痛と吐き気がする。そうするとかき乱されて、自分が悪いところと、相手が悪いところの区別がつかなくなる。全部相手が悪いような気がしたり、全部自分が悪いような気がしてくる。そうではないのだ。そうではないはずだ。正しく叱り、正しく認めてほしい。ただそれだけ。

私には人並みの生活を送る資格がないのか。なぜこんなに生きにくいのか。
普通にしているだけなのに。ただ働いて、仕事から帰り、ごはんをつくって、夫を迎える。そしてきちんとした形で働きたいだけだ。ほかに何か変わったことでもあるっていうのか。普通ってなんだ。私が普通に暮らそうとしていることが間違っているのか。
それでも私は生きていていいはずだ。このひとを選んだあなたにはまともに生きる資格がない、どうせ駄目になる、何もかも自業自得なんていわせない。言われたけど。そんな言葉を信じてなんかやらない。
三年は死ねない。






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