背日記


スポンサーサイト
--/-- (--) --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
重曹を見直した話
06/27 (Sun) 13:26|日常
琺瑯の片手鍋を焦げ付かせたのを、すっかり忘れていた。

確か三杯酢を作ろうとしてて、みりんと酢と昆布だしを煮切ろうとしていて
それがカラメル状を通り越して焦げついたんだった、三日ほど前に。
うちにはクレンザーがないし、琺瑯製の鍋に金だわしって駄目だったような気がする。
しかもこのお鍋は基本的にはちびの離乳食用だからしてきつい洗剤使いたくないしで
棚の奥に何の用途で買ったのかも忘れた重曹が入ってたのを思い出した。
確かこれの粒々がクレンザー的な役割を果たしてくれるとかってどこかで書いてた。
そこで悲しいほどとれない焦げに重曹をふりかけて水で湿らせ、
ちょっとおいとこうと思って忘れて早三日。

正直、やばいと思いました。
しかし普通の食器用の柔らかいスポンジでごしごしこすっただけで
焦げが!!! とれた!!! 完璧に!!!
重曹!!! 
ちょっと感動しました。

でも、三日置いといたから水分で焦げが浮いてくれたのか
ちゃんとした重曹効果なのかはわかりかねる。
焦げた鍋を三日おいとく勇気のある方にしかおすすめできない。
でも、ふつう、三日もほっとかないでなんとかするだろう。

私は重曹をちょっとだけ見直しました。
正直いうと、重曹ってあまり使えないと思っていた。
でも、今度焦がしたら出番だ。三日か、とは思いますが。
捨てないでおいておこうと思います。
スポンサーサイト
帰り道
06/22 (Tue) 19:24|お出かけ
今日は色んなことがあった。
昨日もいろいろあって今日もいろいろだ、生きてるっておもしろい。
昨日はTさんに一緒にしゃべってもらって頭と心が晴れた。
もう晴れたとしかいいようがない。元気になった。
今日は旦那にちびをみててもらって出かけました。

大阪に友達に会いに行ったのだけど、何かの流れで破壊とストッパーの話になった。話し込んで別れる。
何か心配なような気もして後ろ髪引かれる。また会えるといいなと思う。
でも会えないような気もする。
それとは別にランチに選んだお店が大当たりで、また来れたらいいなと思いました。
(梅田阪急オフィスビル15Fのblue bird)

友達と別れてHEPでサンダル買ったら、初めて会ったお店の女の子と話してて泣かしてしまった。いぢめたわけではないです。いぢめないですよ。
一個年下のすごいおされで細くてまっすぐな女の子で、たまたま人生の転機を迎えてて、そこにたまたまうちが通りかかったもようです。

うちが祈るのも変だけれども、あのこの二日後の誕生日に、良い知らせがきますように。
何かみんな大変だな。みんな頑張ってるな。
もがいてるのは私だけじゃないんだな。
と今日本当に、思った。
どきんちゃんといっしょ
06/17 (Thu) 22:49|お出かけ
ちびの予防接種に行きました。今回はどきんちゃんのシールを貼ってもらう。
そのあと、前の職場にちびを連れてご挨拶へ。
仕事場に子供を連れてくのはふつう迷惑なのではと思っていたんだけど
課長から「今度こんどて、いつ連れてくんねん!実物をつれてこい」と
再三の催促をうけたため
行っていいんだろか、とぼちぼち出かけてみました。
なつかしかったです。
課長がものすごい勢いで飛び出してきたのでびっくりした。
子ども好きな課長なのだった。
お局様がちびを待ちかねていた。
お局様にはいびられた記憶も根強いのですが、いびりにしても親切にしても
何かとはっきりストレートな人ばかり集まっていて、何かホッとしてる自分に気付いた。
私は婉曲ななにかとかが苦手なのだ。

前の職場、はっきり言っていろいろひどい労働条件でしたが
でもここにきて人間不信が直ったんだった。と思い出しました。
皆むちゃくちゃで矛盾だらけで人間臭くて、お互いいがみあってるあまり
建前とか誰も口にしなくて(たとえ言っても誰も聞かないからかもしれないけど)
でもそんな中に信じられないくらい親切な人がいたり、
叱りつけるふりしてこっそり助けてくれる人がいたりした。

なんかほっとする。なんなんじゃろ、これは。と思っていたところ
モンゴル人Mさんが「かわいいなあ、かわいいなあ」と
ちびにちゅうしたのをきっかけに大泣きが始まり
急いで帰りました。
ちゅうがこわかったのか・・・

今日はそうめんを食べて寝ます。
ちなみにお昼もそうめんでした。
そうめん大好きです。食欲もちょっとずつ戻ってきてます。
そうめんと冷や奴と納豆はおいしいと思う。
マイペースなクーラー
06/12 (Sat) 15:44|日常
うちのクーラーは、時々さぼる。

基本的に、暑い時に働くのは好きじゃないようだ。
気持ちはわからないではない。
わからないではないけど、でもさ!!
と修理屋さんに二度ほど来てもらった。
そしたら「よく解らない…どうしようもないです」と言われました。
かなり年よりなのかもしれない。
HITACHIの霧ヶ峰と書いてある。

炎天下でも、気が向くと働いてくれる日もある。
気が向かなくて働いてくれない日もある。
基準はよくわからない。

今日暑いからこのクーラーのスイッチをいれてみたけども、
なまぬるい空気がのよーっとでてくるだけなのだった。
やる気のなさを感じる。
暑いよー。
暑いとけだるくなり、けだるいと眠くなるので、ちびと一緒に寝た。
なかなか良い体験だった。

それはともかく、衝撃的だったのは、後でドア開けてみたら
クーラーを入れていない部屋のほうが涼しかったことです。
古墳
06/10 (Thu) 20:24|ひとやすみ
古墳

実家の近所の古墳。
小さい古墳なので10分くらいで一周できてしまう。
学生時代よく散歩に行きました。

古墳の木の下の闇が好きでそこばかり見ていた。
土を踏む人がいなくて静かだろうなあと思う。
どれくらいの時間誰も入ったことがないんだろう。
いたずら者が小舟を出して侵入してつかまったとか、つかまらないとか
ほんとか嘘かわからないような噂を聞いたこともあるけど、
基本的に無人のはずだ。
自分だったら古墳侵入の話をもちかけられたら、どうするかなあ。
どうも行かないような気がする。

死んだあと自分の上に木が生えているというのは、いいなあと思う。
よく眠れそう。

自分はどんな墓に入るんだろうか。
狭そうなとこは、やだなあ。
でも古墳はむりだろうなあ。

うーん。
06/07 (Mon) 21:31|思考
「同じ部屋の中に十字架と神棚がある」夢を見てから
一神教と多神教の自分の中での並立、これをどうするか考え続けていた。

ここでも書いたように、コストとかリスクを踏まえてどっちか選択するしかないか、
とか考えてみたけれど、次第にそれはちょっと違うのかもと思うようになった。
コスト、リスクというようなビジネス用語を使うとぱっと見わかりやすいけども
自分が自分の全てをコントロールしてるような錯覚に陥る、と思ったのだった。
けど、そこからどうしたらいいかわからず、
それで保留のままおいといたのだけど、今日になって気付いたことがある。

どーしよーもない、ということに気がついたのだった。
つまり、選択できると考えてたこと自体が、大まちがいなのだった。
多神教はいいなあとか、魅力的だなあとか
一神教はこれからどうも大変だなあとか考えていても
選んだり手にとったりすることは不可能だと気付いたのだった。
それは自分の意志ではなくて、単純に不可能なのです。

出ようと思っても、振り払おうとしても、客体にしようとしても
気が付いたらそれを生きているのに気付いた。

逃げようもないもの、器であるもの、その中に自分が居るというもの、
それを生きているというもの、ものの見方のようなもの、
そんなものを超えているようなもの、まるで自分の身体のようなもの、
枠であるもの、枠を壊す力であるもの、その二つを超えて
どちらにも等しく働きかけるもの、そういうもの。
美化したら間違う。でも、客観視するのもたぶん難しい。

だから、自分は選べないのだけども、もうすでに生きているそれに対して
ただ与えられたから自分の中にあるだけだ、それは客だというのではなくて
「それは私のものである」と再決断することが必要だったのだと思った。
それがどんな欠陥を抱えてても、もうしようがない。もうほんとにしようがない。
そこから出発するしかない。

白黒選択するための葛藤じゃなかったんだなあと思った。
ただ、覚悟は決めろということだったんだなあと思う。

明日からいきなり教会に通ったりとかはしないです・・・
ただ、これが根だなあということです。
等身大
06/03 (Thu) 20:46|思考
大阪での収穫その2:

母と話したことが大きかったです。そもそも母に話をしに帰ったのだった。
キリスト教については母から妥協なしの厳しい教育を受けた記憶があったので、
意識的に対決してもらうつもりで行ったが、そんなことにはならなかった。
(ちなみに、家族でない人に自分の問題解決のための
対決を求めることはありません。念のため)

話のあいま
「もうそういうのわからないわ。
ゼロっていうニュース番組が好き。嵐のなんとかっていう子がかわいいねん。
あのこ、なんて名前?とにかく、もう、小難しいこと考えるのやめたんよ。
しんどいからやめてん」
って、聞いて笑ってしまった。

私が思ってた母はそこにいなかった。
「私が思ってた母」は私の頭の中にしかいないのだから、当たり前なのだった。
実像はもっと矛盾だらけだし、動いていて変化している。
私もそうだ。
追い込んでもらうつもりだったけど、これは完全に自分が甘えてたと思った。
でも、これは、発見の一つ。

昔は母のことが色々な意味でものすごく大きく見えてたのですが
今回、「ああ違ってた。ほんまはこんなに小柄だったのに」と思った。
それはマイナスの意味で小さく見えたということではなくて
等身大の大きさで見れたということです。
やっと会えたような。
一瞬だけだったけど。

今まで自分が相対していると思っていたのは多分私の思い描いた
+にも-にも巨大すぎる母親像だったんだと思います。
それは人間の身に引き受けるのには大きすぎる幻想だし、
母にはつらかったと思う。
半ばわかっていたけど、背負ってもらっていた。
もう、下ろしてもらってもいいと思う。労いたい気持ちです。

前に短期の教育分析を受けた時も最終的に一回「等身大の母に会った気がする」と
思ったんだけど、こういう感覚は一瞬しかもたない。
感覚そのものはすみやかに忘れてしまって、でもなんとなく
「あの感覚」を経験したことは覚えている。
そっちが正確なのがわかっているから、いつも悪夢から醒めようとする時みたいに
「あの感覚」を思いだそうとした。でもできなかった。
見えるものは自分にはコントロールできない。
自分に見えているものが現実だとは限らない。
何事にも時があるんだなと思った。

「そんなことはわかってる、できないから悩んでるんだ」
と思うことは山ほどある、今でも。
あと何度、繰り返せるかなあ。





Template by:Ribbon*RIA

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。