背日記


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水餃子パーティ
04/22 (Wed) 23:53|今日のごはん
※今日は山ほど水餃子を作ってもらいました。
丁度チーフが家に寄ってくれたので一緒にごはんに。
そして当然酒盛りに。
私はつわりでお酒が入らないので麦茶に氷で。
あんな好きだったお酒が、今は全然喉を通らないのが
つわりの不思議というものです。
お酒に限らず珈琲、紅茶、緑茶、ほうじ茶、黒豆茶(いろいろ試した)も
あまり喉を通らないのですが、麦茶なら飲めることがわかってから
だいぶ水分を摂りやすくなりました。

水餃子と、レタスと水菜とキウイのサラダ、チーフのお土産の鶏の唐揚げ。
あと海老チリとレバニラ炒めがごはんでした。

※お天気のいい日、いつも仕事場にいて、ガラスの扉の向こうを眺めていると
とてもすてきなことが外にはたくさんある気がして
外へでかけたいなあ、どこか遠くへ旅行に行きたい、と思うものですが
いざ休日が来て、いつ外に出てもよいとなると
実際には家にいて本を読んでいたりします。あんまり出かけたいとも思いません。
ふと思いました。
拘束というものがあると思っていると
そこから逃避したくなるものなのかもしれない。
でも、実際には拘束があるわけではない。
社会的な約束事はたくさん身の周りにあり、それを破れば
相応の罰則や報復は、受けることになる。
でももし仕事中どこかに旅行に行きたいと私が本当に思ったなら
それを止められるものは別に何もない。
結果さえ自分で受け止めるのであれば
周囲はなんも言わない。
何か言われたとしても、本気でやりたいことなら実行できます。
旅行はもののたとえです。今やりたいとふと思ったことを
思いつくままにやることだけが自由ではないだろうとおもいますけども。

拘束というのは自分が頭の中で作りだした何か幻想みたいなもの
なんだろうなと思った。
拘束されていると自分が勝手に思い込んでいる、というか
その幻想の強さのあまりに、拘束というものが実在するかのように
信じ込んでしまうのだというか
でも実際は無い。
本当は自由なのに、そうは思えなくなっているんだなと
自分自身おもいました。
それをどう打破したらいいのかはまだわかんないんですけども

ただ、「ここに居る」ということを誰か別の人が決めたことのように思うのか
自分が選んで決めて居るのだと思うのかは
自分で選べる。
ついでに言うなら「ここから出る」のも勿論自分で選べる。
自分が自由なのか不自由なのかは自分で決定できると思った。

なんかあまりうまくまとまらなかったけど、これは学生時代から
ずっと考えているおなじみのテーマです。
今日は楽しかった。
明日は休日なので、今晩は夜更かしします。
でも、ねむいのでやっぱり寝ます。
おやすみなさい。
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