背日記


スポンサーサイト
--/-- (--) --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ドラマとしての
04/11 (Sun) 21:32|思考
分析などしてて今日になって気づいたことがある。
今になって。ちょっとがっくりきました。気付くの遅い。

「夢に出てくる登場人物は全部自分」だとずっと私はざっくり思ってたけど、
きちんと考えたらそれは違う。
とても自分だと思えないような、
その人の目の前に立つだけで自分が透明になってしまうような
言葉につくせない美しい光をもった人や、
性格とか超えた本質的な悪をもった悪魔や
たくさんの人(や人じゃないもの)が夢にでてくるけど、
そんなの謙遜とか逃避じゃなく私じゃないもの。ちょっと考えたらわかります。
じゃあどこからどこまでが私なのか?

結論としては、
そこで起こってるドラマが私なのであって、そこにいる人物が私なわけではない。
私というドラマが「今まさに起こって」いる。
夢はそれをそのまま見せてくれます。
私は今起こりつつある現象であるから、
つまり私なんていうものを私は所有などしていない。

ほかにもいろいろ考え込んではいたのですがとりあえずこれだけ。

変化しようとか思うのは、自分の意志だと外側から見たら思われるかもしれないし
自分でもそうだと勘違いしてたり思い込んでみたりしてた時期がありますが
実際は違うのだと今は思っています。
だからといって外的要因のせいというわけでもないけど
意志がまったく介在しないわけでもないけど
意志ありきで全てが始まり進んでいくわけでは、ないのです。

むしろ半分の心は、変わりたくない。心平穏に暮らしたい。
けどそうもいってられない。
「時」が来たら、そのように追い込まれるだけなのだと思う。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント
  • パスワード
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する





Template by:Ribbon*RIA

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。