背日記


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等身大
06/03 (Thu) 20:46|思考
大阪での収穫その2:

母と話したことが大きかったです。そもそも母に話をしに帰ったのだった。
キリスト教については母から妥協なしの厳しい教育を受けた記憶があったので、
意識的に対決してもらうつもりで行ったが、そんなことにはならなかった。
(ちなみに、家族でない人に自分の問題解決のための
対決を求めることはありません。念のため)

話のあいま
「もうそういうのわからないわ。
ゼロっていうニュース番組が好き。嵐のなんとかっていう子がかわいいねん。
あのこ、なんて名前?とにかく、もう、小難しいこと考えるのやめたんよ。
しんどいからやめてん」
って、聞いて笑ってしまった。

私が思ってた母はそこにいなかった。
「私が思ってた母」は私の頭の中にしかいないのだから、当たり前なのだった。
実像はもっと矛盾だらけだし、動いていて変化している。
私もそうだ。
追い込んでもらうつもりだったけど、これは完全に自分が甘えてたと思った。
でも、これは、発見の一つ。

昔は母のことが色々な意味でものすごく大きく見えてたのですが
今回、「ああ違ってた。ほんまはこんなに小柄だったのに」と思った。
それはマイナスの意味で小さく見えたということではなくて
等身大の大きさで見れたということです。
やっと会えたような。
一瞬だけだったけど。

今まで自分が相対していると思っていたのは多分私の思い描いた
+にも-にも巨大すぎる母親像だったんだと思います。
それは人間の身に引き受けるのには大きすぎる幻想だし、
母にはつらかったと思う。
半ばわかっていたけど、背負ってもらっていた。
もう、下ろしてもらってもいいと思う。労いたい気持ちです。

前に短期の教育分析を受けた時も最終的に一回「等身大の母に会った気がする」と
思ったんだけど、こういう感覚は一瞬しかもたない。
感覚そのものはすみやかに忘れてしまって、でもなんとなく
「あの感覚」を経験したことは覚えている。
そっちが正確なのがわかっているから、いつも悪夢から醒めようとする時みたいに
「あの感覚」を思いだそうとした。でもできなかった。
見えるものは自分にはコントロールできない。
自分に見えているものが現実だとは限らない。
何事にも時があるんだなと思った。

「そんなことはわかってる、できないから悩んでるんだ」
と思うことは山ほどある、今でも。
あと何度、繰り返せるかなあ。
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