背日記


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06/07 (Mon) 21:31|思考
「同じ部屋の中に十字架と神棚がある」夢を見てから
一神教と多神教の自分の中での並立、これをどうするか考え続けていた。

ここでも書いたように、コストとかリスクを踏まえてどっちか選択するしかないか、
とか考えてみたけれど、次第にそれはちょっと違うのかもと思うようになった。
コスト、リスクというようなビジネス用語を使うとぱっと見わかりやすいけども
自分が自分の全てをコントロールしてるような錯覚に陥る、と思ったのだった。
けど、そこからどうしたらいいかわからず、
それで保留のままおいといたのだけど、今日になって気付いたことがある。

どーしよーもない、ということに気がついたのだった。
つまり、選択できると考えてたこと自体が、大まちがいなのだった。
多神教はいいなあとか、魅力的だなあとか
一神教はこれからどうも大変だなあとか考えていても
選んだり手にとったりすることは不可能だと気付いたのだった。
それは自分の意志ではなくて、単純に不可能なのです。

出ようと思っても、振り払おうとしても、客体にしようとしても
気が付いたらそれを生きているのに気付いた。

逃げようもないもの、器であるもの、その中に自分が居るというもの、
それを生きているというもの、ものの見方のようなもの、
そんなものを超えているようなもの、まるで自分の身体のようなもの、
枠であるもの、枠を壊す力であるもの、その二つを超えて
どちらにも等しく働きかけるもの、そういうもの。
美化したら間違う。でも、客観視するのもたぶん難しい。

だから、自分は選べないのだけども、もうすでに生きているそれに対して
ただ与えられたから自分の中にあるだけだ、それは客だというのではなくて
「それは私のものである」と再決断することが必要だったのだと思った。
それがどんな欠陥を抱えてても、もうしようがない。もうほんとにしようがない。
そこから出発するしかない。

白黒選択するための葛藤じゃなかったんだなあと思った。
ただ、覚悟は決めろということだったんだなあと思う。

明日からいきなり教会に通ったりとかはしないです・・・
ただ、これが根だなあということです。
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