背日記


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いろいろ
11/10 (Fri) 18:59|日常
送別会に行ってきた。一区切りついたーーーー

やーっと、時間ができたので、生活の合間に本を読んだり考え事をしたり、リハビリのように本屋さんに行ったりテレビを見たりするようになった。
寮にいる間はテレビのない生活を続けていたので、世間の動向やら情報から切り離されていたのである。時折仕事場で新聞を目にすると、上司の目を盗んでけっこう必死で読んだ。ネットでニュース見ればよかったようなものだけど、何かネットってニュースを見るものという感じがしなくてあんまり見なかった。そんなわけで今、ニュース番組がすごく見たい。

ときどきむしょうに部屋を出てどこかに行きたくなる。
どこかに行きたいけど、行っても満足できないのはわかっている。
うちに帰りたいといつも思っているけど、そのうちは大阪にもどこにもないのがわかっている。それはこれから作るしかないのかもしれない。心が帰る場所、この地上のどこにも存在しない幻。

人は自分の抱く幻を地上に形として実現しようとする、というようなことを考えた。

自分というイメージも結局のところは幻だし、イデオロギーとか観念も全部は最初は人の抱く幻だ。それを最初に、抱き、形にしようとし始めるところから全てが始まり、それを中心に人間のドラマが巻き起こされていくんだなあと思う。
それはすごく不思議な感じ。形のないものが形のあるものを動かしている。それは自己実現という言葉にすごく似てる。もともとは形のない自分を形にしていこうとすることと。

幸せってなんなのかはわからないし、個人の幸福を犠牲にしても、人は自分の使命や運命を生きたいと欲することがある。信じられないくらい多くの人が、個人の幸福を追求することをあきらめて、自分の存在意味を確認し証明しようとしていると感じることがある。それがどうしてなのかは、時々わかるような気がする。
幸福というものが遠すぎて、自分の手に入るとはとても信じることができない場合がそうだし、幸福云々以前に、自分が存在してていいのか信じることができないと、目の前に幸せがあったとしてもそれをつかめずに素通りしてしまう。透明人間になったみたいに。常に安心していられないから。
それはすなおに幸福になろうとする人から見たら理解できないらしい、というのも最近わかった。

幸福になるべきっていう決まりがあるわけじゃなし
結局正解はないけどさ
というかこの問題を追求していくとしあわせってなんなのかってところから考えなくちゃいけなくてすごくめんどくさいぞ
これって難しい問題だな~

時折ひどくきまじめにこのようなことを考える私であった。

でも何か個人的にはしあわせというのはすごく単純なことのような気がする。
今お腹がへっているので余計にそういう気がする。
とりあえずりんごを一個たべる。
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